平成29年6月24日

千石会では、大政奉還150周年記念プロジェクト公式サイト、幕末維新の群像に新たに岩下方平(みちひら)が追加掲載された事をお知らせいたします。

当初鹿児島出身の人物として大久保利通、小松帯刀、西郷隆盛、天璋院篤姫(サイト掲載順)の4名が鹿児島市の情報提供により掲載されていましたが、より史実に近い情報掲載を実現するため独自に京都市に交渉した結果、無事追加掲載していただきました。

掲載URL(岩下方平):http://www.taiseihokan150.jp/person/iwashitamichihira/
掲載URL(鹿児島市):http://www.taiseihokan150.jp/city/kagoshima/

【岩下方平紹介】
岩下方平は文政10(1827)年に、鹿児島城下、上加治屋町に生まれました。安政の大獄後に西郷隆盛や大久保利通らが中心となって結成した精(誠)忠組においては、その首領に推され、主導的な役割を担いました。

文久2(1862)年には、島津久光の率兵上京に続いて士卒300余名を率いて上京しています。薩英戦争後の講和会議にあたっては、談判正使として横浜に赴き、英国代理公使ニールと交渉を行いました。慶応元(1865)年には家老に進み、翌2年の長州再征にあたっては、幕府の出兵命令に対して、これを拒否しています。

慶応3(1867)年のパリ万国博覧会の開催にあたって、薩摩藩は幕府とは別に「薩摩琉球国太守政府」の名義で参加し、方平も薩摩藩の使節団を率いてフランスに渡航しました。パリ万博から帰国後、方平は直ちに藩主島津忠義に従い上京し、王政復古にあたっては、薩摩藩を代表し西郷、大久保と共に徴士・参与に任ぜられました。明治2(1869)年、維新の功により永世賞典禄千石を下賜されました。その後、京都府権知事、大阪府大参事経て元老院議官に就任。明治20(1887)年に子爵を賜わり、後に貴族院議員となります。明治33(1900)年、74歳の生涯を閉じました。

【千石会】
昭和36年7月1日に子爵、岩下家一を顧問とし岩下方平、方美子孫らにより発足した一族の会。平成27年から過去の調査結果を整理し電子化等デジタル対応を進めるため岩下方美子孫らを中心とし再開。新たな史料収集も行っている。

【お問い合わせ先】
千石会 担当:三澤
info@sengokukai.org