幼いときは親の親を、なつかしみをもって知りたいという気持ちがあります。すこし大きくなるにつれて、またその親を、また従兄弟の存在を知りたいというようになります。なつかしいというような気持ちよりは、只知りたいという、むしろ興味のような心持ちでしょうか。

青年期にはどうということもなく過し、壮年期老年期に入るにしたがって祖先を、伯叔父母を、イトコ、ハトコはと、それもなつかしみの心をもって知りたいと思うようになります。けれども、それに手を付けて調べるということは、なかなかオックウであり、面倒であり、むずかしいことです。

それをしてくださった。そのうえ一堂に会する機会をきへ作って下さった方夫君・功君の◯厚志◯労菩大変であったこととシミジミ頭が下がりますとともに心から感謝申し上げております。

一堂に会して、お顔を拝見しているうちに、身内の誰かに似ている点が段々と見出され、いつか肩の張ったような堅さがほぐれ、話に遠慮がなくなり、温かい和やかな空気にあふれ、他人とは違った事へない血の流れを感じます。

もう他人ではないことを知りました。

岩下方昭を祖とする道秋の子武平道美二兄の孫ヒコ同士です。

皆仲良くいたしましょう。

平和な世の中を作りましょう。

誰でもがということであり、努力していることです。近所にいれば兄弟のようにくらいしている親類同士です。お互いに所在が判った今日、今後は一層親睦を計り身近いところの平和を、まず計っていきたいと存じます。

皆様呉久も御身体を大切にしてください。今後お会いする時は、お互い元気な顔を合わせたいと存じます。

千石会創刊号当時の記載をそのまま記載してあります。